元過労死ライン越え教師 Yb の日記

元過労死ライン越え教師が教育などについての考えを綴ります

○教育現場の現状は? Part 3 残業代ではない教職調整額

○教育現場の現状は? Part 3 残業代ではない教職調整額

 

 「教員に残業代が出ない?それは嘘だ。教職調整額という名前の残業代が出ているぞ。」そう考える人が多いかもしれません。確かに教員には教職調整額というものが支給されています。それが残業代だと勘違いする人もいるかもしれません。現に私は教員の先輩に

「教職調整額の中に残業代も含まれているんだよ。」と言われたことがあります。しかし、それは明らかな勘違いです。教職調整額は超勤四項目と呼ばれるものに対しての対価として存在します。超勤四項目とは、勤務時間外に教員に命令することのできる内容が示されたものになります。具体的には「公立の義務教育諸学校等の教育職員を正規の勤務時間を超えて勤務させる場合等の基準を定める政令」に示されている

 

 ① 校外実習その他生徒の実習に関する業務
 ② 修学旅行その他学校の行事に関する業務
 ③ 職員会議に関する業務
 ④ 非常災害の場合、児童又は生徒の指導に関し緊急の措置を必要とする場合その他やむを得ない場合に必要な業務

 

の四つです。この項目に当てはまるものは時間外勤務を命令できるとしています。

 確かに、修学旅行の電車が遅れて学校に戻ることができない状態に児童生徒が陥った時に定時を迎えて担任が児童生徒を残して帰宅するなんてことはできません。その時に勤務時間外労働を命令できるようにすることは必要でしょう。そういった時が予めあるかもしれないから先にその時用の給与を支払っておくというものがこの教職調整額になります。

 しかし、ここには重要な注釈が存在します。

 それは、

 

『掲げる業務に従事する場合であって臨時又は緊急のやむをえない必要があるときに限るものとすること。』

 

というものです。つまり、日常的に行われる授業の準備が勤務時間を超えた場合に支払われる残業代でもありませんし、いつも時間のかかる学校行事の準備で定時で帰れない場合に支払われる残業代でもありません。何を言いたいのかといえば、

 

教職調整額は残業代ではない。

 

ということです。繰り返しますが、超勤四項目も勤務時間外労働をやたらめったらに命令できるものではなく、『臨時又は緊急』の時のみに対してですので、日常的に存在する勤務時間外労働には何も関係がないのです。

 

 もし仮に、私の先輩のように教職調整額に残業代が含まれているとしましょう。だとしても、この調整額は給与の4%です。月収20万だとすると、単純計算で20万×4%で8000円です。

西村 祐二(2023).の『学校改革~「定額働かせ放題」と「ブラック校則」に挑む現役教師~』では、

 

“2022年度実施の教員勤務実態調査(速報値)によると、教諭の一ヶ月平均残業時間は、持ち帰り仕事時間を含めずに小学校64時間48分、中学校83時間44分、高校64時間52分(10~11月の調査結果を4週間換算した推計。持ち帰り仕事を含めた場合は、小学校82時間16分、中学校100時間56分、高校81時間)。調査結果から見える小中学校教員の日常は、毎日3時間以上の残業、30分以上の持ち帰り仕事、にもかかわらず一日を通した休憩時間はわずかに23分。”

 

とされていますから、小学校教諭なら月80時間以上の残業に対して8000円。中学校教諭なら月100時間の残業に対して8000円。まともな額とは思えません。時給換算するならば、小学校教諭でも一時間100円未満になります。こんな状態が許されるはずはありません。

 しかも、もう一度言いますが、この教職調整額は残業代ではありません。実際にはこの過労死レベルの残業には1円も払われていないわけです。時給も0円。ていのいい奴隷と言っても誤解はないでしょう。実際に教員の中には自分たちのことを奴隷と表現する人もいます。このような現状がSNS上で話題となり、教員がブラックであるということが世に知れ渡ることになったのです。しかし、それでも、まだ

「教員は残業代をもらっている。」

「日常の残業も教員に命令することができる。」

と本気で信じている教員以外の人、そして教員本人がいるのです。

 ここから私が感じることは、『まずは知ることが大切』ということです。無知は搾取され続け、場合によっては加害者側に回ってしまうこともあるのです。教員は教えること、つまりはアウトプットをすることばかりに集中しがちですが、アウトプットをする者ほど本当はインプットが重要だということに改めて気付かなければならないのです。

 この件で言えば、この超勤四項目に関して詳しく知らないならば、約8000円をもらう代わりに延々と続く残業に身を捧げなければならないと信じてしまうかもしれません。これは半分間違っていて、半分合っています。それは、法規上はそうならないはずだが、現実にはそうなっている部分もなくはないからです。この問題の難しさは一部の教員は定時で帰れているというところにあります。理由は様々です。工夫の賜物である場合、担当業務が帰りやすいものの場合、そして、帰ることに徹底していてもはや仕事の質には拘らない場合と多種多様です。教員の質がよく問われるようになったのもここに原因があるようにも感じます。

 しかし、私たち教員は児童生徒の模範になるべき存在でもあり、学校は社会の模範的な立場として児童生徒のためにあるべき場所でもあります。そんな教員に対しての法律がまともに機能せずに、無法地帯となった学校が児童生徒の居場所として相応しいとは思えません。法律がしっかり守られた環境が児童生徒の周りに整備され、正しいことは正しいとされる場所が提供される必要があると思います。そして、教員は学校をそういった場として存在させていかなければならないと私は思っています。

 

参考文献 西村 祐二(2023),  シン・学校改革~「定額働かせ放題」と「ブラック校則」に挑む現役教師~,光文社

 

 

○教育現場の現状は? Part 2 残業の存在をないものとする法律

○教育現場の現状は? Part 2 残業の存在をないものとする法律

 

 なぜ教員には『残業は存在しないはず』なのでしょうか。それを理解するためには教員の勤務の大前提となる法律について知っておく必要があります。それは給特法と言われる「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」です。この法律の肝となるのがこの部分です。

 

『原則として時間外勤務を命じないものとする。』

つまり、『時間外勤務の命令は原則しないので、残業は存在しません。』という理論です。もちろん、どうしてもの場合はあります。その場合は

 

『正規の勤務時間の割振りを適正に行う。』

 

イメージしやすく言うのであれば、『今日は一時間どうしても多く働いてほしいから、その分明日は一時間早く帰って良いよ。』ということです。しかし、ここにはある前提が隠れています。それは『明日はどうしても多く働いてほしい日ではないよ。』ということです。なぜならば、『毎日が多く働いてほしい日であれば、早く帰って良い日は存在しないので、その分を割り振りすることができなくなってしまう』からです。そう、これが教員の実態なのです。こんなことが通用するのでしょうか。それが通用してしまっているのです。なぜならば、そこに『命令』が存在していないとされるからです。教員が求められる業務は多岐に渡ります。しかし、その全てが管理職から直接命令されるものではありません。「宿題に対してのコメントを書きなさい。」とは管理職から直接言われませんが、とっても頑張っている児童の宿題にコメントを書いて、児童のやる気を伸ばす指導は教員としてよい行いだと感じませんか。しかし、そこに管理職の命令は存在しない。つまりは

 

『勝手に教員が好きでやっていることであり、業務ではない。仕事ではなく、ただの教員の趣味』

 

これが今の現状になるのです。だから、そんな趣味に残業代は出ないのです。

 宿題に対してのコメントは教員の業務ではなく、趣味なのでしょうか。私は業務だと思います。ここで教員を続ける中で重要になってくる考え方があります。坂本 良晶(2019).の『さる先生の「全部やろうはバカやろう」』の中にある一節です。

 

『「選ぶ」ことを選ぶことも、必要』

 

教員には膨大な量の業務が存在します。その全てをこなすだけの時間は間違いなく存在しません。そして、業務を越えた分は命令してないから教員の業務ではなく、趣味として片付けられてしまう。そんな中で私たちが求められる力は『何をするべきなのかを「選ぶ」こと』なのだと考えます。教員には前例踏襲という文化が根付いています。しかし、それだけではこの法律によって教員たちの努力は認められません。認められるものを「選ぶ」ことが今最も求められている力だと私は感じています。

 

参考文献 坂本 良晶(2019.),さる先生の「全部やろうはバカやろう」,学陽書房.

教育現場の現状は? Part 1 過労死ラインを超える残業の実態

○教育現場の現状は? Part 1 過労死ラインを超える残業の実態

 

 今回は、学校現場が忙しい、忙しいという話を聞いて、一体どのくらい忙しいの?という皆様の疑問に答えていけたらと思います。ここで資料として実際の業務時間について触れていきたいと思います。西村 祐二(2023).の『シン・学校改革~「定額働かせ放題」と「ブラック校則」に挑む現役教師~』では、

 

“2022年度実施の教員勤務実態調査(速報値)によると、教諭の一ヶ月平均残業時間は、持ち帰り仕事時間を含めずに小学校64時間48分、中学校83時間44分、高校64時間52分(10~11月の調査結果を4週間換算した推計。持ち帰り仕事を含めた場合は、小学校82時間16分、中学校100時間56分、高校81時間)。調査結果から見える小中学校教員の日常は、毎日3時間以上の残業、30分以上の持ち帰り仕事、にもかかわらず一日を通した休憩時間はわずかに23分。”

 

とされています。つまり、私のような小学校教諭は大体一月に80時間以上の残業を行なっていることになります。あれ?ここでこの80時間という単語に聞き馴染みはないでしょうか。そうです。過労死ラインと言われる残業時間の基準は単月で100時間、もしくは連続で80時間以上とされることが多いのです。平均が80時間を超えているということは小学校教員のほとんどが過労死ラインを超えていることになります。さらに中学校に至っては単月どころではなく、平均で100時間を超えるという実態です。気をつけなければいけないのは、これは体調を壊すラインではなく、過労「死」ラインであるということです。現状、教員のほとんどは文字通り「死」と隣り合わせで仕事を遂行しているのです。

 そこで、このような意見が出るかもしれません。

「こんなに残業していれば、たいそう残業代ももらっているんでしょ?だったら、文句ばっかり言ってないで働いた分もらって満足していなさい。」

 しかし、これは大きな間違いです。教員には『残業代は支給されません』。より、正確に言うのであれば、教員に『残業は存在しないはず』なのです。存在しないはずなのであれば、残業代を出す必要はないですよね。

 ここで大きな矛盾点が生まれます。

『存在しないはずの残業』と『実際に行われている残業』この二つは相容れないはずです。なぜこんなことが起こっているのでしょうか。それを理解していただくためには法律について触れていかなければなりません。

 

参考文献 西村 祐二(2023),  シン・学校改革~「定額働かせ放題」と「ブラック校則」に挑む現役教師~,光文社

 

自己紹介

 どうも、元過労死ライン越え教師 Yb と申します。私は以前公立の学校で教員をしていました。何も特殊な学校ではなく、一般的な公立学校を数校経験しました。永く教員をやる中で私の心は疲れ切ってしまった部分と前向きに頑張る部分とが混在していました。そして、様々な経験をする中で今の教員を引退するという結果に至りました。専門は小学校になります。中学校の経験はないので、部活動のご質問に関してはお答えできかねる部分が出てきますので、そこはご承知おきください。

 私は中学の途中あたりから教員を目指し始めました。大学を卒業し、教員採用試験に合格し、晴れて教員として働き出しました。しかし、話には聞いていたものの、想像を越えるブラックな職場に圧倒される毎日でした。トイレでえずく日々は今でも昨日のことのように覚えています。これは何も私だけではありません。私の先輩もトイレから出られないことがあったと私に話してくれたことがありました。また、私のすぐ下の後輩も同じことを経験したようです。そんな経験をする中で私はこの職業を続けて良いのだろうかと自問自答する日々を送りました。そしてついに教員を辞め、今があるというのが現状です。教育現場を離れた今でも、「教育現場をよくしたい。子どもたちが笑顔で過ごせるようにしたい。」という気持ちだけは変わりません。そこで私に現場の外からできることはなんだろう。むしろ、現場の外だからこそできることはなんだろうと考え、この筆を取ることにしたのです。

 恐らく、学校という現場にいたことがない人からすると、「なぜ、こうしないのだろう?」や「こうすればいいのに」と思うことは山ほどあると思います。その結果が、『教員自身の自己責任論』につながってくると思います。私は全てが教員自身の責任だとは思いません。しかし、学校を、教育の労働環境を変えていこうとする中で、教員自身の考え方ややり方が不幸を招いているということもゼロではないと感じています。つまり、教員単体の力ではどうにもならない部分と教員の考え方ややり方で改善できる部分が現在の学校現場には混在していると感じています。このブログでは、そのどちらもについて、それぞれの背景や提言を詳しく、私の立場から述べて行けたらと思っています。もちろん、地域や学校毎に大きく前提が異なってくるのも理解しています。けれども、もしかしたら役に立つかもしれないという希望をもとにこの文章を書き連ねることができたらと考えています。

 私が言っていることは全て正しいとは思っていません。寧ろ、多種多様な意見があることは多くの経験から人一倍理解しているつもりです。ですので、私は「私の意見が正しい」というつもりは一切なく、「こんな意見もありますよ」程度に聞いていただけたらと思います。

 それも踏まえた上で、私が日々心に思っていること、思っていたこと。これから教員になる人、今教員として日々苦しんでいる人、前向きにどうがんばろうか考えている人、全ての人に何か少しでも心に残る文章を綴れたらと思っています。今後、様々な意見を述べる中で私の過去について語る機会もあると思いますから、私の教育現場での詳細についてはその時のために取っておけたらと思います。

 

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はじめに

どうも、元過労死ライン越え教師のYbと申します。

 

 この度、元過労死ライン越え教師としてのブログを書かせていただくことになりました。元教員としてのノウハウや現場の声、現場を変えるであろう考え方など様々な意見を発信していけたらと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

 

 元現場にいた人にこんなことを聞いてみたいということがありましたら、どしどし意見をいただけると嬉しいです。

 

 ただし、注意して欲しいのは、これはただの一教員の意見であると言うことです。これこそが正しいと言うつもりもなければ、全員こうだ、全員こういった考えを持っていると言うことでもありませんし、他の考えを持っている人を批判する意図もありません。あくまで一教員の日記程度に留めていただいて、「こういう考えを持っている教員もいるんだな。」や「こんなやり方があるのか。」、「こんな風になっている学校もあるんだ。」といった豆知識的な、娯楽的な目的として私の文章を読んでいただけたらと思いますので、予めご了承ください。

 

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